両親や兄弟にもよく言われてましたが、考え方がかなり常識はずれだったり、生まれつきまわりの人と違ってることは自分でも自覚しており、不良になったことなどの経験から考え方を一般の人になじむように矯正しないといけないと考えるようになっていました。
(スピリットを自分の思考でコントロールしようとしたのでしょうね)
幼児期には友達の先頭に立つのが好きでしたが、まわにの人と違うといった思い込みなどの劣等感からグループ行動が苦手になっていました。
社会人として、一人間として普通?の人になろうと努力をしました。
方法はいたってシンプル、心からの感情を重い箱の中に閉じ込めてしまいました。
辛かったことや嫌な感情を押し殺して良いことだけを見るようにしてしまったのです。
あるとき会社の上司が少林寺拳法といった武道をしていて、「半ばは自分の幸せを、半ばは他人の幸せを」その精神を聞いて、心を動かされ自分も今までの罪滅ぼしと思い武道を通じて精進をはじめました。
(少林寺拳法は武道を通じた人作りの道で、仏教の教えに基づいているのです)
地域へのボランティアにも参加するようになり、それなりの人間性が形作られていきました。
結婚をして家庭も持ち、社会に順応しようと、忙しさの中、自分がこしらえた「常識であれ」を最優先して感情を閉じ込め、私の核である真の霊性に目を向けずに平凡な人生を送っておりました。
無理に箱に押し込めた感情は後々私に大きな試練と気付きを与えることになります
続きはあとで・・・「霊性の進化だけ気付きがあり、それは精一杯生きること、苦しみを乗り越えることで与えられるものなのですね」
最近のコメント