整体の道に進み、自分らしい生き方ができる喜びが日に日に増していきました。
社会に受け入れてもらおうとして努力をしてきた毎日、社会の荒波の中、経営者として、忙しい日々が続き、あの事故の記憶「自分は、なぜ生かされたのか」といったことなど、すっかり忘れていました。
会社も少し落ち着いてきたころ、私のまわりが少しずつ変化していきました
スピリチュアルな方との出会いが多くなってきたのです。
それでも私は現実主義者寄りのほうでしたので、耳を傾けることはありませんでした。
それが、Kさんとの出会いがきっかけで、スピリチュアルの扉がゆっくりと開くことになるのです。
Kさんは神道系の方でしたが、私に出会うべく、ここに来たと言って私の過去世や私の中の秘められた力を教えてくれました、イニシエーションを私に数回行ってもくれました。
とまあ、ここまでは良かったのですが、そのKさんのチャネリングの内容があまりにも人間として間違った内容であったため、今ではスッパリ縁を切っております。
(今思えば、Kさんは低級霊に憑依されてしまってると思います。なんたって霊言の内容のほとんどが、私は○○の神である!と言いながら強引に生き方を変えようとするのです、高級霊はそのように自らを偉そうに名乗り、命令して神社を拝ませるようなことはありません、自由意思を尊重し、自然の摂理、神の真理を解く神様が偉そうに命令をして人間がこしらえた神社にふんぞり返ってるはずがないのです)
そのときに助けてくれたのは、少林寺拳法で一緒に楽しく修行した親友のYさんでした、私に気付きを与えてくれたのです。
Yさんは癌で亡くなっておりましたが、私に「人の道を外れてはならない」この一言を天界から届けてくれました。
かさなるときはかさなるもので、なんと最愛なる妻もスピリチュアルな人だったことを、このころから知ったのでした(どおりで沖縄やハワイが好きなわけです
)
妻が薦めてくれた本を何冊か読んでいたおかげで、瞑想にもチャレンジしたり、知識も強い見方となって、とても心強かったのです
(親友のYさんは瞑想中に声をかけてくれたのです)
このような学びが刺激となって、霊的な真理を知りたいと思うようになりました、そして忘れさられていた事故のこと、「俺は生かされたんだ」でも「なぜ生かされたんだろう?」「なぜ自分はこの世に生まれてきたんだろう?」この思いと再び重なり、スピリチュアルヒーラーの扉が開くカギとなったのです、答えは霊的な真理にあると!直感したのです
続きはあとで・・・「辛いこと、苦しいことから逃げてはいけません、過ぎて振り返れば成長するために神から与えられたものだと気付きます、楽しいことと辛いことは一本の棒の端と端であり苦を知らない人は真の楽を知ることはないからです」
最近のコメント